森保一「転びっぱなしの人生」 不登校、補欠採用…W杯“もう一人の主役”は華やかさとは無縁
真面目で律義「まるで優秀な営業マンのよう」な森保監督
だが、「手のひら返し」という言葉がトレンド入りするほど、森保ジャパンの評価は試合ごとに二転三転した。ドイツに勝って日本中がどよめいたが、コスタリカに負けると、スポーツ各紙は「次期監督はレーウかビエルサか」と、森保を見切ったかのような紙面づくりをした。
スペインに勝って「森保続投」が定着し、世界のメディアも、「ハーフタイムの魔術師」「逆転の王様」と森保を絶賛。世界的な名声を勝ち得た。
それは森保のこれまでの人生と同じだった。週刊文春(12月8日号)によると、長崎市で生まれ、小学5年の時にサッカーを始めた。地元の中学にはサッカー部がなかったため、隣町の中学校の部活に参加したが、スパイクなどを隠されるイジメに遭い、心が折れかける。長崎日大高では、ケガをして一時期不登校にもなった。
サッカー部の監督がマツダSC監督に送った年賀状が、森保の運命を変えた。監督とコーチだったハンス・オフトが見に来て、採用を決める。だが、正規の採用枠は5人で、森保は6番目だったため、子会社に「補欠採用」されるのである。
だが、ここで彼の負けん気が爆発、日本リーグの欧州遠征メンバーに選ばれ、本社所属にもなった。Jリーグ発足後にマツダの後身サンフレッチェ広島に入り、オフト代表監督に選ばれ、今回と同じカタールのアジア地区最終予選に出場。初のW杯本戦出場直前、イラクに同点ゴールを決められる「ドーハの悲劇」を体験した。
真面目で律義だが「まるで優秀な営業マンのよう」(スポーツライターの二宮寿朗=週刊文春12月15日号)で、カリスマ性も華々しい球歴も乏しい「転びっぱなしの人生」を生きてきた男が、世界一の舞台で、己の才能を開花させたのである。メッシと森保。対照的な人生を生きてきた2人が、今回のW杯を盛り上げた主役であった。(文中敬称略)
(「週刊現代」「フライデー」元編集長 元木昌彦)