西武右腕・青山美夏人 開幕戦で抑えに大抜擢、松井監督や恩師が舌巻く強心臓とクレバーぶり
「黙々と練習する子でした。オフの12月には毎年、横須賀の長浜海岸で走り込みの特訓をやるんですけど、一生懸命走って、下半身をいじめ抜いていた。プロ入りが決まった時も挨拶というか、遊びに来てくれて、シニアの選手たちと一緒に走っていました。途中でやめてましたけど(笑)」
ある年の関東大会の決勝。最後の打者に投げた最後の一球に、青山のクレバーぶりが凝縮されている。藁科監督が続ける。
■自信があったスプリット
「いつもは『打たれたらしょうがない』という感じで強気に思い切った投球をする子でした。性格からしてストレートを投げて決めると思っていたんですけど、スプリットを投げて三振に取った。チームは勝って優勝しましたけど、拍子抜けしてしまいましたね。それだけスプリットには自信があったんでしょう」
青山本人は、「覚えています。バッターもスプリットにタイミングが合っていないとわかっていたし、球に自信もありました」と振り返った。
熱心に誘われたという横浜隼人高時代は、1年秋から背番号11を背負い、チームを牽引。甲子園経験はなかったものの、亜大に進学して、さらにパワーアップを遂げた。