今度はオンカジ問題に揺れる“緩んだ”プロ野球界 新人研修制度がわずか2年で撤廃された理由
法政二高から南海入りした村上雅則が渡米したのは、先の新人規定で開幕から100試合に使えないのなら留学させる、と鶴岡一人監督が知恵を絞った結果。それが日本人初の大リーガーにつながった。自由競争で新人の契約金高騰が社会問題になっていた時期でもあり、社会常識を指導する役目も研修にあった。
ところが、球団から不満が出たのは翌年。あるオーナーは「有望新人が最初から出ないのはファンに失礼」。65年に制度撤廃が決まった。球団が独自に教育する、と。新人研修制度はわずか2年で姿を消し、その不見識に呆れた内村はコミッショナーを辞めた。導入した年はセ、パとも新人王該当なし。ここをオーナーたちは突いてきた。
学者vs商売人の結末がその後の“緩んだ球界”を生んだ。