“喪失”との向き合い方を描いた 芥川賞作家・伊藤たかみ氏に聞く
「形見って、残された者が“喪失”と折り合いをつけるためのものなんです」
「形見」とは、死んだ人を思い出すためのよすがとなるもの。しかし、思い出して懐かしみ、心を温めることばかりが形見の役割ではない。まして、形見を残したのが、不倫の末に急死した妻であったら……。芥川賞作家である伊藤たかみ氏の最新作「ゆずこの形見」(河出書房新社 1500円)では、ある形見を通して、残されたものがいかにして死を受け入れていくかが丁寧に描かれていく。
文房具メーカーに勤務する太一は、保育園に通う息子の裕樹と2人暮らし。妻のゆずこは、1年前に出張先の北海道のホテルで死んだ。脳溢血(のういつけつ)だった。しかし、本当は出張などではなかった。ホテルの部屋では男と一緒で、早い話が不倫旅行中に急死したのだ。
そして今、冷凍庫の中には、生前のゆずこが作って保存しておいたひじきやきんぴら、アスパラのおひたしなどのおかずが、ぎっしりと詰まって凍っている。太一はこれを1年もの間、捨てることも食べることもできないでいた。
「実は、高村光太郎の『智恵子抄』から着想を得たんです。光太郎が智恵子亡きあと、彼女が作っておいた梅酒を飲みながら妻を思うという詩があって。でも、梅酒ならつぎ足しながらそばに置いておけるけれど、おかずは食べたら完全に消滅してしまいますよね。そういう形見をどうするべきか、そして自分だったらどうするだろうと考えました」