“喪失”との向き合い方を描いた 芥川賞作家・伊藤たかみ氏に聞く
太一は、ゆずこのおかずを食べる“お母さんごはんの日”をやろうという息子の提案を受け入れることにする。幼い裕樹が不憫(ふびん)だからという理由もあるが、本当は太一自身が、ゆずこの死を受け入れるためだった。
「形見って、残された側が“喪失”と折り合いをつけるためになくてはならないものだと思うんです。逝ってしまう側は、たとえ突然死でも家族が故人の遺志を推し量ることができるし、今はエンディングノートというものが普通に売られていて自分の死に備えられる。でも、死なれる側のノートは売っていない。ただ置いていかれるだけです。そんなとき形見があれば、どんな形であれ少しずつでも死を受け入れていくことができるのではないかと」
■不倫の末に急死した妻が残した形見
死という重いテーマを扱い、太一の置かれた状況は修羅場中の修羅場であるが、物語にはどこかユーモラスな空気感が漂う。その最たるものが、冷凍庫の中でおかず以上に存在感を誇示している、毛ガニ。ゆずこが死の直前、北海道から送ってきたものだった。太一は、このカニを間男である真鍋に食べさせようともくろむ。バカバカしさによって救われる心の動きが、丁寧に描写されていく。