「漱石のことば」姜尚中氏
「若いうちは夢中になった太宰治や芥川龍之介は、ある年齢に達すると読み直そうという気になりません。ぼくは熊本なので、夏目漱石は小学生のときから馴染み深かったのですが、高校時代、引っ込み思案になった頃から本格的に読みだしました。漱石は何度読んでも『あ、こういうことだったんだ』という発見があります。ダヴィンチ・コードならぬ漱石コードがあって、あちこちに言葉を仕掛けています。それなのに、みんなスーッと読み飛ばしています。これほど読まれながら、実はよく読まれていない作家も珍しい。それで、漱石を現代的によみがえらせたいと思ったんです」
没後100年、漱石の文章148をピックアップしてコメントを加えたのが本書。自我、文明観、金銭観、処世雑感、死生観など10章に分類されている。
たとえば「肉食の女が、最後に勝利する」という小見出しで「明暗」のヒロインお延の恋愛哲学を紹介する。
「誰でも構わないのよ。ただ自分でこうと思い込んだ人を愛するのよ。そうして是非その人に自分を愛させるのよ」
また、「三四郎」が美禰子に一目惚れする場面では、「三四郎はかつての私の分身のような青年」とコメントする。
「どうしても書きたかったのは男と女のこと。漱石は一言でいうと面食いでした。原節子みたいなグラマラスでバタくさい女性と、新珠三千代のような可憐でどこか薄幸な女性、両方のタイプが好きだったと思います。ただ、どんなに美女でも『あはれさ』がないといけないんですね」
社会のあり方に関しては、今こそ漱石が必要とされている。司馬遼太郎が描く青雲の志や、末は博士か大臣かという上昇志向をもつ男たちの時代は終わった。
「明治以来、1945年8月15日はあったけれど、日本の国柄は、とにかく前に進もう、くよくよするな、でした。原発事故が起きても水に流す、こういう近代化路線にピッタリなのは福沢諭吉や司馬遼太郎でした。なのに、日露戦争以後の日本の暗さを描く漱石も根強い人気があります。それは、前に進むのとは違うやすらぎを人々が求めているから。成長が止まってデフレの時代になり、やっと時代が漱石に近づいてきたのではないでしょうか」
漱石が国民文学であるとしたら、それは日本の希望かもしれない。(集英社 760円+税)
▽カン・サンジュン 1950年生まれ。東京大学名誉教授。熊本県立劇場理事長兼館長。専攻は政治学・政治思想史。著書に「悩む力」「マックス・ウェーバーと近代」「日朝関係の克服」「在日」「悪の力」ほか。小説に「母-オモニ」「心」がある。