京都の素顔がわかる本特集
「京都ぎらい」井上章一著
旅行シーズン到来。今年も「京都」は人気の観光地にランキングされている。その一般的なイメージは古都、寺社、みやびな宮廷文化だろうか。京都を論じた本はたくさんあるが、近頃、負の側面と見られがちな角度から京都を紹介する本の出版が相次いでいる。「いやらしさ」「魔界」「値段」などに言及する異色の京都本を紹介する。
今話題のベストセラー「京都ぎらい」(朝日新書 760円)の著者・井上章一氏は、風俗史・建築史研究家で、国際日本文化研究センター(京都市)教授。京都市右京区の妙心寺近くで生まれ、嵯峨・清涼寺釈迦堂の近くで育ったという、京都以外の人から見ると、まちがいなく生粋の京都人だ。
ところが京都の中心地・洛中(中京区、下京区、上京区あたり)の人から「あなたは京都の人やない」とばかりに、いやらしい言葉を投げられたのがきっかけでこの本を書いたという。
そのときの様子はこう。著者は京都大学建築学科時代、調査に行った下京区の古い町屋の当主から「君、どこの子や?」と尋ねられ、「嵯峨から来ました」と答えた。すると、その当主は「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥やしをくみに来てくれたんや」と言った。
下水道も水洗便所もなかった時代に、嵯峨辺りの農家は市街地の家のふん尿を、肥料にするためにくみとりに来ていたという意味だ。著者は、自分に不手際があったのかと悩んだが、当主が感謝の気持ちを込めたかのように見せて、嵯峨を「田舎」だと見下し、いやらしい言い方をしたのだと徐々に知る。
町なかの人の「中心意識」は他地方でもあるだろうが、京都のそれが複雑なのは、やんわりした物言いに、自分たちの優越感と共に他者への強い差別意識をにじませること。そのへんがとても「いやらしい」のだ。
そのいやらしさのもとは、底意地が悪いからなのか、屈折したプライドを持つからなのか。
「東京の皇居はただの行在所。つまり宿泊所で、天皇家はほんの百数十年間、東京に立ち寄っているだけ。本拠は今日なお京都御所にある」と言いつのり、東京を見下す人も少なくないというから、相当だ。
一方で、おかしな「京都の常識」もつづられる。京都の僧侶は、祇園や先斗町のお茶屋をはじめ夜の町へ、僧服のまま堂々と遊びにいく。著者は、衆人環視の料理屋で、袈裟姿の僧侶と芸妓(芸者)がカウンター席に交互に座り、誰はばかることなく戯れ合っている光景に出くわした。クラブでは「肩や腕もあらわなドレスのお姐さんに、袈裟姿のままじゃれつく」僧侶も、自然に受け入れられているというのだ。
そんな裏事情を明かした著者は、京都が「きらい」なのか、面白いと思っているのか。おそらく後者なのに、裏腹なタイトルがついている。
さすが京都の人の本だ。
「京都魔界ガイド」東雅夫監修
平安京は風水思想に基づく4匹の神獣が東西南北の地におのずと配置されていた。そんな基礎講座から始まり、京都市中の怨霊や妖怪伝説の残る社寺等が紹介される。
上京区の晴明神社は、大内裏の鬼門(北東)の地に建てられた陰陽師・安倍晴明の屋敷跡。今も「五芒星」を掲げて魔界封じをする。その近くの一条戻橋は現世と来世をつなぐ橋として畏怖の的。東山区の豊国神社の耳塚には、秀吉の朝鮮出兵の時に武将らが成功の証しとして届けた朝鮮人の鼻が無数に祭られている。鼻では野蛮なので耳塚と呼ばれるようになった……。ぞくぞくする怖い話が盛りだくさん。(宝島社 1000円+税)
「【今様】京都の値段」柏井壽著
京都人は買い物のとき、いくつかを見比べるが値段を聞かず、気に入ったものを、言われた金額を黙って払う。8000円から2万円の料理屋では「真ん中へんの、ちょっと上くらい」と注文する。金額をうんぬんするのは無粋だという美意識があるのだ。
京都を知り尽くした著者が、本書に「価値に見合う値段」のものとして選んだのは、京都御所近くの「野呂本店」のしば漬け(400円)、錦市場「三木鶏卵」のだし巻き(700円)、四条河原町「ゑり善」の風呂敷(1万8000円)など50品目。お金で買える幸せな京都旅行へ誘われる買い物ガイド。(PHP研究所 1000円+税)
「京都の歴史を歩く」小林丈広、高木博志、三枝暁子著
朝鮮通信使は江戸時代に12回来日しているが、そのうち第1~3回は、京都において大徳寺に約1カ月滞在。その間に、東福寺や清水寺など東山の寺社を見物した。まるで物見遊山のようだが、その陰に、涙を流しながら一行を見る朝鮮人女性たちがいた。秀吉の朝鮮出兵時に被虜人となった数万人のうち国交回復の過程で送還されたのは約7000人。送還がかなわなかった女性たちなのだ。
本書は、そんな裏面史と共に京都歩きの15コースを紹介する。
著者3人は、京都の大学の教授や准教授。かつて都に生きた人々の暮らしと営みが伝わる名著だ。(岩波書店 900円+税)