「天声人語」の筆者・深代惇郎の魅力
「天人 深代惇郎と新聞の時代」後藤正治著/講談社文庫
三島由紀夫が自衛隊に決起を促して割腹自殺したとき、深代惇郎は「朝日新聞」の社説にこう書いた。
「彼の政治哲学には、天皇や貴族はあっても、民衆はいない。彼の暴力是認には、民主主義の理念とは到底あいいれぬごう慢な精神がある。民衆は、彼の自己顕示欲のための小道具ではない」
名物コラム「天声人語」(略して天人)の筆者として知られる深代の魅力を伝えて後藤のペンは余すところがないが、三島は過大に神話化されていると私は思う。
運動神経が鈍く、虚弱だった三島は徴兵検査で第2乙種となった。辛くも合格とはいえ、ほとんど徴兵されることはないと思われたが、戦局が厳しくなると入隊検査を受けなければならなくなる。
しかし、風邪をひいて高熱だったために、肺浸潤と診断され、即時帰郷を命ぜられた。
その後の様子を、付き添って行った父親の平岡梓が「伜・三島由紀夫」(文藝春秋)に次のように書いている。ちなみに三島の本名は平岡公威である。
「門を一歩踏み出るや伜の手を取るようにして一目散に駆け出しました。早いこと早いこと、実によく駆けました。どのくらいか今は覚えておりませんが、相当の長距離でした。しかもその間絶えず振り向きながらです。これはいつ後から兵隊さんが追い駆けて来て、『さっきのは間違いだった。取消しだ。立派な合格お目出度う』とどなってくるかもしれないので、それが恐くて恐くて仕方がなかったからです。『遁げ遁げ家康天下を取る』で、あのときの逃げ足の早さはテレビの脱獄囚にもひけをとらなかったと思います」
三島より2歳下で過酷な軍隊経験をした城山三郎は「戦争はすべてを失わせる。戦争で得たものは憲法だけだ」と繰り返し語った。しかし、劣等感の裏返しから愛国を強調した三島は、その憲法を捨てよと説く。
同じ陣営と見られがちだが、先ごろ自死した西部邁は三島を嫌った。「映画芸術」の昨年の夏号で討論したとき、私が前記の「伜・三島由紀夫」を引いて三島を批判したら、「お父さんが裏で手を回したという説もあります」とまで言った。派手派手しく死んだ三島とひとりで自殺した西部には、同じ保守でも大きな違いがある。三島より、この本で描かれている深代が読まれてほしい。
★★★(選者・佐高信)