「日本人が知らされてこなかった『江戸』」 原田伊織氏
「処方箋のない現代、何を材料にして次の時代の青写真を描くのかと考えたとき、幸いなことに日本人は、江戸という素晴らしい時代を持っています。これを誰が土の中に埋めちゃったんだという怒りに近い気持ちが私にはあります。深く埋め去られてしまった江戸のエッセンスの、エキスだけでも抽出しないといけません」
本書は「明治維新という過ち」の著者による、「江戸の価値」の考察本である。明治政府が、自分たちを正当化するために、徳川幕府を全否定し「圧政」を強調して埋もれさせた、江戸の精神文化にスポットを当てる。
江戸の価値とは何か。そのひとつが、自然と共生する持続可能な仕組みである。1970年代以降、欧米では近代物質文明や大量生産社会を価値とする考え方からの転換が迫られたが、すでに150年も前の江戸で、森林資源を利用・保存し、農作業に人糞を使い、ゴミをリサイクルするエコロジカルな仕組みが出来ていたのだ。国際語になった「もったいない」の精神も江戸の価値である。
「エコロジーと共に世界が学ぶべきもうひとつ大事な江戸の価値は、『平和』です。明治維新と呼ばれる1868年からの80年間、平均すると10年に1回戦争をしてきました。明治近代は、戦争政権・軍事政権なんですね。徳川幕府も軍事政権ですが、膨張主義や対外進出の発想がありません。つまり『専守防衛』しかないのです」
江戸幕府が膨張主義にならなかったのは、それまでの戦国時代で、人々が戦いに疲れ果てていたからだ。戦国時代の合戦では、百姓も「食うために」戦場に出て、「乱取り」で食糧を強奪するしかなかった。
「戦争はもういやだ、この世の中は平和じゃなきゃいかんという強烈な意思が働いているんですね。天下『泰平』という言葉は、後の時代から見るとネガティブなイメージですが、未来永劫の平和のこと。これって基本的に大事なことではないでしょうか」
明治近代はそこを軽んじて、軍国日本をひた走った。吉田松陰が唱えた膨張主義は、大東亜共栄圏と見事に一致する。
「江戸時代はあまりに遠いと思うかもしれませんが、沖田総司と池田屋に斬り込んだ新選組の永倉新八が死んだ1915年は、私の父が生まれた年です。私も小学生のとき、人糞の肥桶をてんびん棒でかついでいました。150年という時間は、たかだかそんなもの、江戸の人たちと今とはつながっています」
幕末から明治にかけて来日した外国人、例えば日本の奥地を一人で旅した女性イザベラ・バードも、人々の親切さやお風呂に入る清潔さに驚いていた。
「ヨーロッパには公衆トイレがなく、おまるに用を足して、夜中に2階や3階の住人が窓から投げて、歩いていた人に当たったという記録もあります。一方、江戸には公衆便所がありました」
世界が認める江戸の良さを日本人が知らないのは、もったいない、と著者。
「とはいえ私も、五木寛之さんと一緒で、お風呂に入るのはめんどくさい。そこは江戸時代の人に叱られるかな。とにかく、江戸がそのまま継続して、議会制を導入し、すでに起きていた近代工業を発達させていたら、どんな社会になっていたか。少なくとも、薩長がつくった国家のようにはならなかったはずです」
(SBクリエイティブ 800円+税)
▽はらだ・いおり 1946年京都府生まれ。近江(滋賀県)で育ち彦根東高等学校を経て大阪外国語大学卒。作家。歴史評論家。著書「夏が逝く瞬間(とき)」「明治維新という過ち」「三流の維新 一流の江戸」「官賊に恭順せず 新撰組土方歳三という生き方」他。