なぜ赤報隊を名乗って「朝日」を襲撃しなければならなかったのか
「記者襲撃」樋田毅著/岩波書店
1987年5月3日、赤報隊を名乗る者たちに殺された「朝日新聞」記者の小尻知博を悼んで、私はこう書いたことがある。
そもそも赤報隊とは相楽総三をリーダーとする草莽の討幕隊で、下級武士と農民の混合部隊だった。彼らは薩長を中心とする新政府軍が流した「年貢半減令」を信じ、徳川幕府を倒せば年貢は半分になると思って、それに参加した。しかし、もともと新政府にはそんなつもりは微塵もなく、年貢半減を触れ歩いた相楽らは「偽官軍」として新政府によって処刑される。
そんな由来をもつ赤報隊を名乗って犯人はどうして「朝日」を攻撃しなければならなかったのか。むしろ、中曽根康弘や竹下登ら、当時の政府権力者の偽善を暴く「朝日」は、彼らと志を同じくする者ではないのか。暗殺はしばしば“誤爆”に陥るが、相楽総三の悲劇を私は忘れたくないと思うだけに、犯人が赤報隊を名乗っていることも無念である。
ところが、「朝日」の記者として、この事件の発生当初から特命取材班に加わって真相を追い続けてきた著者によれば、中曽根と竹下も狙われていた。中曽根宛ての脅迫状には、靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切ったと書かれている。自分たちの気に入らない者はすべてテロの対象とするのである。
著者は犯人と目される右翼関係者とも会って激論を交わす。「朝日」にこんな骨っぽい記者がいたのか、と驚くほどだ。
この本では「α教会」と書かれている新興宗教は、その霊感商法などを「朝日ジャーナル」で激しく批判されていたが、その政治団体である「α連合」が同誌の編集部宛てに、「社員のガキをひき殺す」という内容の脅迫文を送ってきた。
「朝日の経営権を3日以内におれたちにゆずれ。さもないとてめえらの社員のガキを車でひき殺す。俺たちには岸元首相や福田元首相が付いている。警察は俺たちの操り人形だ。俺たちが何をしても罪にはならない」
α連合の名誉会長は戦犯容疑で巣鴨プリズンに岸と一緒に入っていた笹川良一であり、安倍晋三に至る自民党タカ派とのつながりは深い。
自民党最後のハト派といわれた後藤田正晴は「これからの時代は朝日新聞ががんばらなければならないんだ」と言ったというが、確かにそうである。われわれも狙われる「朝日」を支える必要がある。
★★★(選者・佐高信)