「人生に信念はいらない」細川晋輔著
著者は臨済宗妙心寺派の僧侶、つまりは禅僧である。禅僧になるには、一定の期間僧堂で修行生活を送ることが定められている。著者は、本山である妙心寺の修行道場で9年間の修行生活を送った。本書では、その経験にもとづいて、一般の人間が禅の精神を日常にどう生かすべきかを説かれている。
著者が経験した禅の僧堂での修行が厳しいことはよく知られている。とくに、入門するまでの「庭詰め」や「旦過詰め」の部分は相当にきつい。ひたすら入門を願うことになるのだが、途中、先輩からつまみだされたりと、数々の試練に見舞われる。そこで、修行に臨む覚悟を問われるわけだ。
臨済宗の僧侶になるためだけなら、3年間修行を積めばいい。だが、著者は、その3倍の月日を費やした。そこには、同じときに入門した同期の突然の死という出来事が関わっていた。
著者は、同期の死という思わぬ出来事に直面し、その意味を問うことを課題とした。その答えを得られたのかどうか、外側からはうかがいしれないところもあるが、それがあったからこそ、著者は終わりのない修行に全身をかけて取り組むことができた。その点では、同期の死は重要な意味を持ったことになる。
臨済宗が同じ禅宗の曹洞宗と異なるのは、「公案」を重視するところにある。公案は、いわゆる「禅問答」のことで、「両手を打てば音がするが、片手ではどんな音がするのか」といった、論理的に考えても答えが出ない問いに取り組むものである。
ただ、定められた公案を考えることより、「現成公案」と呼ばれる現実から突き付けられる課題に解決を与えることの方が難しい。答えがあるかどうかも分からないからだ。禅僧は、この現成公案に生涯取り組んでいくことになる。
著者は、元ラグビー日本代表のジョン・カーワンヘッドコーチが、悩んでいた五郎丸選手に言った、「おまえが変えなければならないのは、今だ。今変えなければ、未来は変えられない」という言葉に、禅と共通した考え方を見いだす。中国の禅の老師はそれを「日日是好日」という言葉で表現した。大切なのは、今この瞬間をどう生きるかなのだ。(新潮社 760円+税)