「加藤周一はいかにして『加藤周一』となったか」鷲巣力著
岩波書店創業100周年のアンケート「読者が選ぶこの1冊」の新書部門で、斎藤茂吉「万葉秀歌」、丸山眞男「日本の思想」に次いで第3位に選ばれたのが加藤周一の「羊の歌」だ。加藤周一が生まれたのは100年前の1919年、干支は未。「羊の歌」は未年に生まれた加藤の、生まれてから60年安保までの40年にわたる自らの生い立ちをつづった回想録だ。加藤周一といえば、合理的な思考の国際的知識人として知られる。
中でも「羊の歌」は、その合理的思考のよってきたる背景が語られ、多くの読者に深い影響を与えた本だ。
加藤の著作集の編集に携わり、すでに2冊の加藤論を書いている著者が今回挑むのは「羊の歌」の読みなおし。まず着目するのは、初出の「朝日ジャーナル」では「連載小説」と銘打たれ、岩波新書では「ある回想」という副題が付されたこと。調べていくと、大半は事実に基づいているがところどころに創作が挟まれ、当然書かれてしかるべきことが書かれていなかったりする。「羊の歌」で最もよく知られているエピソードとして、太平洋戦争開戦の日(1941年12月8日)に、加藤は騒然とする外界から隔絶するように文楽を見ていたというのがある。著者は加藤の妹の証言や残された日記などから、加藤が実際に文楽を見たのは8日以降のことだとしている。
このように、「羊の歌」に書かれるいくつもの挿話を著者は詳細に調べていく。そこから浮かび上がるのは、一見明晰で簡潔に見える「羊の歌」という本のもつ意想外な奥行きの深さと、加藤周一という、常に少数派として生きてきた希有(けう)な知識人の複雑で多様な精神の在り方である。加藤が亡くなって10年。軸を失ったかのような現在にあって、加藤の合理的思考は輝きを増している。 <狸>
(岩波書店 3500円+税)