「タバコ天国」矢崎泰久氏
2020年4月1日、改正健康増進法が全面施行され、飲食店を含む多くの施設が原則屋内禁煙となった。タバコを楽しめる場所はどんどん消えてゆき、これまで以上に肩身の狭い思いをしている愛煙家も多いだろう。
「私は70年前からタバコを吸っているし、今まで禁煙しようと思ったことは一度もない。タバコを嫌うことも吸わないことも自由であるように、私は吸うという意志を持って吸っているからね。もちろん、タバコを吸わない人の前でわざわざ吸ったり煙を吹きかけるようなことはせず、慎んで吸っていますよ。しかし、いわゆる嫌煙家という方々はタバコを目の敵にして愛煙家を迫害しようとする。“タバコの効用”という部分には一切目を向けずにね」
本書は、著者が出会ってきたタバコを愛する数多くの著名人たちとの思い出をつづった、煙のように軽くかつ味わい深い随筆だ。
1967年2月28日、川端康成、石川淳、三島由紀夫、安部公房の4人は中国の文化大革命による焚書事件に抗議する声明を発表した。このとき、記者に配布する声明文のペーパーを用意したのが、当時「話の特集」編集長だった著者。控室では、4人と共にタバコを手にしていたという光景を振り返っている。
「思い起こせば4氏は全員が片手にペン、片手にタバコという執筆スタイルだった。つまり、彼らが残し、今でも輝きを失っていない文章の数々はタバコと共につづられていたというわけで、これこそが文化ではないかと思うんです」
浅利慶太や唐十郎、倉本聰、井上ひさし、つかこうへいなど、演劇人にものべつタバコを口にしている人が多かったと本書。中でも蜷川幸雄とは50年以上の付き合いで、大勢の俳優たちの真ん中にドッカリと腰を下ろし、そこから紫煙が立ち上る光景は今でも目に焼き付いているという。トイレに立つときですら口にタバコをくわえていて、何度も連れションをしたという著者は、ポトリと灰が落ち「あちち」と大騒ぎになる姿も目撃したそうだ。
「もしも彼らのそばにタバコがなかったら、小説も芝居も完成していなかったかもしれない。たかがタバコと思っている人がいたら、それは大きな間違いだと言いたいですね。なぜ人はタバコを吸うのかといえば、それこそが文化そのものだからで、文化が禁じられることで人類は多大な損害を受けることに気づくべきです」
喫煙を注意されても巧みな話術で一本吸いきった俳優の小沢昭一、NHKのインタビュー中でもタバコを口から離さなかった宮崎駿、人からもらう“お先タバコ”の名人だった永六輔……。
本書では、タバコを愛した著名人たちの面影から、人間にとってもっとも大切なのはコミュニケーションであり、タバコはそれを紡ぎ、和みの文化を醸し出してくれる存在であることを伝えている。功罪なかばするものはこの世にいくらでもあるなか、功を無視して罪ばかり強調されるタバコの扱いは、異常という他ないと著者は憤る。
「改正健康増進法などと銘打って分かりやすいタバコをスケープゴートにし、もっと重大な問題から国民の目をそらしているのではないかと考えた方がいいんじゃないですか」
(径書房 1900円+税)
▽やざき・やすひさ 1933年東京生まれ。早稲田大学中退。編集者・作家・ジャーナリスト。新聞記者を経て雑誌「話の特集」を発行。30年にわたり編集長を務める。プロデューサーとして数多くのテレビや舞台なども手掛ける。著書に「編集後記」「口きかん わが心の菊池寛」「生き方、六輔の。」など多数。