「ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険」コーリー・スタンパー著 鴻巣友季子ほか訳
三浦しをんの「舟を編む」は辞書編纂に携わる人たちのちょっと奇矯な生態を描いているが、アメリカで最も歴史のある辞書出版社メリアム・ウェブスターの辞書編纂者であった本書の著者の「英語オタク」ぶりもなかなかだ。3歳から文字を読み始め、大人用の雑誌をボロボロになるまで読み尽くし、9歳には医学事典が愛読書だったという。本書はそうした著者が辞書作りの舞台裏をさまざまなエピソードを交えて紹介し、近年における英語の意味と使い方の変遷ぶりも伝えてくれる。
辞書の項目となるには長持ちする言葉でなければならない。とはいえ、その言葉が長持ちするか否かの判断はある種の賭けだ。例えば20年前に一体だれが“google”という言葉が「検索エンジンを使ってインターネット上でなにかを調べる」という意味で使われるようになると予見できたか。また著者はある単語の語釈の中で大統領を示す言葉に“his”を使ったところ上司に「将来女性が大統領候補になるのはあり得ない話じゃない」と指摘される。
一方で、2003年の「カレッジ英語辞典」改訂版の“marriage”の項目に「同性の相手と、従来の結婚のような関係で結ばれた状態」という語義を加えたところ、同性婚を認めるとは何事かという強い反発の嵐にさらされた。また白人の肌の色を表すとされてきた“nude”の意味の幅を広げるべく、「身につけている人の肌の色に合う(淡いベージュや黄褐色などの)色」という語釈にたどり着く。まさに言葉の意味やそれを取り巻く環境は時々刻々と変化していく。辞書も不易と流行を厳正に見極めつつそうした変化に応じていかなければならないことがよくわかる。
1日8時間、ほとんどしゃべらず、ある単語が副詞か形容詞かにさんざん頭を悩まし、膨大な文献(近年はこれにネットの情報も加わる)から適切な例文を拾い出し、PC(政治的妥当性)にも留意をしながら簡潔な語釈を記す。辞書編纂者の仕事ぶりには頭が下がるが、なにより英語への愛があふれる卓越した読み物。 <狸>
(左右社 2700円+税)