「やわらかな知性」野村亮太氏
漫才は、時事やトレンドなどを取り入れたネタの新しさやオリジナリティーが、面白いか否かの判断材料になるところが大きい。対して、落語はどうか。
「落語ファンは同じ落語を何度も聞いているため、噺の筋を熟知しています。つまり、次にどんな展開になり、どんなクスグリ(笑わせどころ)が入ってくるのかまで分かっている。それなのに何度聞いても“面白い”と感じられるのはなぜか。その仕組みを研究したのが本書です」
興味深いのは、落研出身という著者が専門分野である認知科学の切り口で落語を分析し、さまざまな演目を例に挙げながら落語の面白さを学問的に言語化している点だ。
「人の認知の作用のひとつである“予期”は、だいたい3秒以内に起こる出来事を具体的なレベルで予想できます。これを可能にしているのは、物事を理解しようとするときの助けとなる“スキーマ”と呼ばれるひとまとまりの知識があるからなんですね」
このスキーマをキーワードに、本書では柳家小三治師匠の演目「千早ふる」を例にしてクスグリのメカニズムを解説してみせている。町の若い衆である金さんが、知ったかぶりの隠居に百人一首について尋ねようとし、小さな女の子が畳の上に札を並べて遊んでいる――と話す。すると隠居はそこでこう答える。「あぁそら、おまえ花札だろう」と。
「本来、この話の流れで客がスキーマから予期しているのは、かるたや百人一首でしょう。しかし、予期に反して出てくるのは、博打にも使われる大人の遊び道具。客の予期と噺家の言葉の間のズレ、つまり不調和が生じることで人は面白さを感じ、そこに笑いが生まれるわけです。このクスグリの面白さを、日本の文化を知らない外国人に理解させることは難しいでしょう。花札から子供の遊びの風習までの日本の文化に関する知識のかたまり(スキーマ)をしっかり説明しなければなりませんからね」
また、客の予期との不調和は、噺家による表現の工夫でも生み出されている。「千早ふる」の中に、歌人の在原業平について隠居がまたもや知ったかぶりをする場面がある。本書ではそのセリフを抜き出し、隠居と話している金さんの、次の言葉を発するまでの時間の長さを分析。すると、金さんが声を発する前の一呼吸がどんどん長くなっていき、隠居への疑念が増幅していくことが分かるのだ。
「落語ファンは次にどんなセリフが来るかを知っていますが、噺家がそれを言うタイミングを客の予期からわざとズラすことで、ここにもおかしさが生じます。これは台本通りではなく、熟達した噺家ほど演じながら客の反応を即座に判断し、その時々で多彩な表現の方法を使い分けているのです」
噺家のうまさを調べるために客のまばたきのタイミングを記録した結果も載っているが、落語を愛する著者は今、新型コロナウイルスが落語界に与える影響を懸念している。
「客の知性や想像力、そして客の反応を読み取り演じ方の微調整を行う噺家の技量。これらが相互に影響しあってこそ落語が磨かれ、噺家も育ちます。しかし、以前のような寄席ができなくなっている今、噺家が育つ機会が失われているのではないか。オンライン配信では客との一体感を身体感覚として把握することは難しいですよね。一日も早く寄席が元通りになることを願ってやみません」
(dZERO 2200円+税)
▽のむら・りょうた 1981年、鹿児島県生まれ。認知科学者、数理生物学者。准教授を務める早稲田大学人間科学学術院で劇場認知科学教室を主宰。著書に「口下手な人は知らない話し方の極意 認知科学で『話術』を磨く」、監訳に「ユーモア心理学ハンドブック」などがある。