「家族写真」笠井千晶氏
記録的な豪雨により熊本や大分では浸水被害が深刻だ。轟音とともに家を押し流す濁流の映像に、東日本大震災の津波を思い出した人も多かったのではないだろうか。
本書はドキュメンタリー監督である著者が東日本大震災から7年間、福島の被災地で撮影した映画「Life 生きてゆく」を撮影する過程や心情を記したノンフィクションである。
「太平洋沿岸部で大きな津波の被害がありましたが、いち早く救助隊やボランティアが入れました。しかし福島の沿岸部では震災直後、原発の爆発を恐れ、まだ瓦礫の中から誰かの声が聞こえていても、涙ながらに避難せざるを得ず、その後も長く立ち入りが制限され行方不明の家族を捜すことができないままでした」
子供2人と両親を津波で失った南相馬市の上野敬幸さんもそのひとりだ。国もボランティアの応援も来ない中、手作業で家族を捜していた。「絆」「復興」という言葉が世間にあふれる一方で、遺体が放置され見捨てられた地域があることを著者は知る。
「放射能漏れで避難した妊娠中の奥さんは娘さんの葬儀にも立ち会えませんでした。当時の上野さんは、『東電のヤツなんて殺したっていい! 社長を土下座させて踏んでやる!』と怒り狂い、殺到するマスコミや記念撮影する野次馬に対して、誰彼かまわず棒を振り回して追っ払っていたそうです。海を見ていた私も背後からどなられました」
ところが、震災の翌年、あれほど荒れ狂っていた上野さんに再会すると、まるで別人のようだった。
仲間たちと追悼の花火を打ち上げ、変わり果てた地域や悲しみにくれる人のために奔走していた。被災地以外では震災は風化し、東北でも復興に向けて進んでいるが、原発周辺だけは瓦礫の山が残る。自殺も考えた上野さんだが、「若い人に同じことを繰り返してほしくない。この経験を伝えなければ」と語ってくれるように。
理不尽な現実に怒りを押し殺しながらも、前に進もうとする姿に著者は心を打たれる。
「当時、私は名古屋のテレビ局のディレクターとして被災地へ取材に訪れていました。ところが日が経つにつれ、社内でも『もう震災はやらなくても』という雰囲気に。それでも記録しなければと、休日にひとりでカメラを持って夜行バスに乗り込み福島へと通っているうち、本気でこの作品に取り組みたいと会社も辞めました」
視聴率に縛られるテレビ局の取材と違って、上野さん夫妻と交流を深めながら心の変遷を丹念に記録していく。
「上野夫妻と震災後に生まれた娘さんが、毎日、家族の遺影に語りかけている様子は、生者と死者7人家族として今も暮らしているようでした。生きている家族は、亡くなった家族の思いを胸に生きていけるのだと教えられた気がします」
本書では、心底、憎かった東電の社員との心の交流や、津波で流された娘の同級生たちの卒業式など、上野さんを取り巻く人間模様が余すことなく描かれている。
コロナと自然災害にダブルで立ち向かう大変な年だからこそ、読んでおきたい骨太の一冊だ。
(小学館 1600円+税)
▽かさい・ちあき 1974年生まれ。ドキュメンタリー監督。テレビ局勤務を経てフリーに。撮影から編集まで手掛ける。映画「Life 生きてゆく」で山本美香記念国際ジャーナリスト賞、著書「家族写真」で小学館ノンフィクション大賞受賞。