「彫刻の歴史」アントニー・ゴームリーマーティン・ゲイフォード著、石崎尚、林卓行訳
著名な彫刻家である著者の一人、ゴームリー氏(AG)は、「彫刻には場所や文化、文脈、そして何千年もの時間を超えて一貫したテーマが横たわっている」。だから「彫刻とはなにか?」という問いは、「人間とはなにか?」という別のより大きな問いと密接に結びついているという。
本書は、そう語る氏が美術史家で美術批評家のゲイフォード氏(MG)とともに、彫刻の歴史を俯瞰しながら対話を重ね、その大いなる問いと向かい合った豪華美術本。
「身体と空間」と名付けられた章から始まる対話の冒頭、AG氏は子どもの頃に大英博物館で見たラムセスⅡ世の巨像やアッシリアの人面有翼獅子像(ラマス)、イースター島のモアイ像について語りだす。
MG氏によると、ラマスは建物の入り口とその向こう側にある王の間のような大切な空間を守るために作られたもので、その巨大さと威圧感は神々しいほどで、聖書に登場する智天使(ケルビム)の姿もここから発展して作られたという。
正面から見ると、静止して立っているように見えるラマスは、その脇を通り過ぎるときには、まるで歩いているかのように見える。
AG氏によると、自らが作る彫刻も一番うまくいった作品は、3つの対照的な角度から見た時にとても同じ作品とは思えないという。
彫刻というものは、イメージとしてだけではなく、必然的に物理的対象としても存在するという基本的な性質があるから、これは当然の結果なのだそうだ。
そして、話題はスリランカのポロンナルワ・ガル・ヴィハーラの涅槃仏(11~12世紀)へと移っていく。
大地を直接彫って作られたこの像は、本来は漆喰で覆われ金箔を張って塗装もされていた。その上には建物も立っていただろう。しかし、現在は野ざらしになり、結果的に表情はより豊かに変化している。
物体と場所が分け隔てなく結びついているこの作品は、想像を喚起する。その場所の風景を、そしてその結果としてそこに来る人の思考をも別の秩序へと結びつける役割を与えられているとAG氏は語る。
一方、MG氏は、この大仏は「ずっしりとした物質の言葉で=つまり石の塊の形を整えることで記された世界と自分自身の存在について考え直してはどうかという誘う声」だという。
対話にたびたび登場するミケランジェロについては、「変成岩の塊を人間の身体を再現するものへと、そして入り組んだ感情を伝えるものへと見事に変化させるという点で」右に出る者はないと高く評価。そして、これがいかに不可能な課題であるかということを彼ほど自身で痛感していた者もまたいないという。
紀元前250万年前の猿人たちが大切にしていた顔のように見える「マカパンスガットの小石」や紀元前50万年に作られた「ヘイズブラの手斧」と呼ばれる石器などの遺物や遺跡から、建造物の天井部分に外を見上げるだけの開口部を設けたジェイムズ・タレルの斬新な現代作品まで。300点以上の世界の至宝を紹介しながら人類と彫刻の関係を18のテーマで語りつくす。
(東京書籍 5500円)