「東京に生きた縄文人」東京都江戸東京博物館編集東京都埋蔵文化財センター編集協力
日本の縄文時代は、世界にも類を見ない特別な時代だったという。世界史では新石器時代にあたるこの時代、人類は農業を発明し、土器を生み出し、初めて定住が可能になった。
しかし、縄文時代は農業が未発達だったにもかかわらず、定住して集落を成し、世界一の美しさを誇る土器や土偶を作っていた。
そんな縄文時代の人々の暮らした痕跡が今も私たちの足元の土中に眠っている。日本初の縄文時代遺跡の発掘となった1877(明治10)年のエドワード・S・モースによる「大森貝塚」の調査以来、東京だけでも縄文時代の遺跡は集落の他、土器片のみが出土するものを含めて3800カ所以上も確認されている。
本書は、そうした遺跡から出土した土器や土偶、装身具などを紹介しながら、「東京」の縄文人たちの暮らしぶりに迫るビジュアルテキスト。
学問の進展により、この20年で縄文時代像は大きく変わっているという。
大平山元遺跡(青森県)につづき、東京都武蔵野市の御殿山遺跡で出土した土器が、付着した炭化物の測定から約1万6000年前のものと判明。これは縄文時代の始まりが従来の説よりも4000年以上も前の最終氷期に始まっていることを意味する。
また花粉分析の結果、縄文人はクリやウルシの林を管理したり、土器に残された圧痕分析から、豆類を栽培していたことも分かったという。さらに、調理や保存に欠かせない塩づくりも従来の後期からさかのぼり中期には始まっていたようだ。
こうした最新の知見から、改めて分かった縄文時代の暮らしぶりを解説。
縄文時代を代表するアイテムのひとつの土器は、草創期のシンプルな造形の深鉢にはじまり、渦巻き模様や片口状の注ぎ口がつくなど、さまざまな形態に変容していく前期の深鉢、さらに現代の土瓶のような形をした「注口土器」をはじめ「香炉形」や「浅鉢」などの後期の品々まで、時代によって変容していく過程を一望。
多摩ニュータウン遺跡からは、東北や中部、東海近畿地方など、遠方の地で使用されていたものと同じ形の土器が見つかっている。
その多くは地元で作られ運ばれてきたものではなく、多摩地方で作られたと考えられ、遠くから人々がやってきて、お国自慢の土器を作りながら交流を深めたと思われるそうだ。
他にも、集落や墓にはじまり、「多摩ニュータウンのビーナス」(表紙)をはじめとする土偶の数々、国内唯一の産地である糸魚川から「ヒスイロード」を経て供給され独自に加工された「ヒスイ」、木器や漆器など、都内の出土品から、その時期的、地域的特性を考察する。
さらに、彼らの住居「竪穴式住居」の復元を試みたワークショップも紙上公開。
読み進めるうちに、はるかかなたの存在だった縄文人たちが身近に感じられてくる。
「縄文2021-縄文のくらしとたてもの-」展覧会が江戸東京たてもの園で開催中(2022年5月29日まで)。
(TOTO出版 2640円)