「イラク水滸伝」高野秀行著
「イラク水滸伝」高野秀行著
スマホの乗り換え案内を見て家を出る時間を決める。駅の手前のATMでお金を下ろし、すかさずPASMOにチャージ。ホームに着くとちょうど急行が入線してきて、よしよし万事順調だ。──かくてわたしは「段取り国」を生きている。便利で快適だけど、電車が数分遅れただけでイライラする、そういう国だ。
さて、毎度日本の常識がぜんぜん通じない土地に出かけて行き、ディープなノンフィクションをものにする高野秀行さん。新刊の舞台はイラク、それもチグリス川とユーフラテス川が交わる巨大湿地帯だ。なんでも数千年前からアウトローやマイノリティーが逃げ込んでくるアナーキーな土地で、独裁者サダム・フセインにも過激派組織ISにも負けなかったくせ者たちの巣窟だとか。
分厚い本は驚愕のエピソードに満ちていた。とりわけ印象深いのはかの地の人たちの「段取りゼロ」流儀。目の前に難題が立ちはだかったとき、彼らは事前に見通しを立てることもなく、仕事の役割分担もせず、その場で思いついたことをいきなりやっちゃう。失敗しても一切落胆せずに、また次に思いついたことをやっちゃう。「見切り発車とその場しのぎの連続」と高野さんも呆れている。段取り国・日本では決してお目にかかれない光景だろう。ところが大騒ぎしているうちに難題は見事解決するからさらに呆れてしまう。はー、すごい。世界は広い。
登場人物が湿地帯のくせ者たちということで、中国の物語「水滸伝」に見立てた仕掛けも楽しい。ジャーシム宋江とかアヤド呉用とかヘンテコなあだ名が付けられるたびに噴き出した。
(文藝春秋 2420円)