「山の上の家事学校」近藤史恵
「山の上の家事学校」近藤史恵
新聞記者の中上幸彦が、家に帰った途端に出しそこなった2週間分のゴミに直面する場面から、物語は始まる。脳裏に浮かぶのは1年前に終わった10年間の結婚生活。娘を連れて家を出た妻は実家に戻り、誇りだった政治部の仕事はコロナ感染を機にはずされた。荒れた生活を察した妹に勧められ、幸彦は男性を対象とする「山之上家事学校」に行くことを決意する──。
「家事をテーマにしたのは、アイスランドのドキュメンタリー映画『主婦の学校』を見たのがきっかけです。その学校は料理はもちろん赤ちゃんの服作りや消火器の使い方まで教える場所で、男女問わず生徒を受け入れていました。日本では大半の女性は家事を他人事にできない状況にあり、逆に男性の大半は家事を他人事にできてきた。でも、実は家事を他人事にしておくこと自体が、男性の人生を阻害するのではないかと思うんです」
主人公が学校で学ぶのは、単なる料理や掃除だけではない。材料が売っていなかった場合の対処法も含めた料理前の買い出し、新しくなった洗濯表示の読み方、いつか娘の髪を上手に編むための子どものヘアアレンジ、アイロンのかけ方やボタン付けの方法まで、解析度の高い家事全般だ。
本書は、今まで男性にとって目にとまりにくかった家事の詳細を主人公の目を通して見直しながら、今まで仕事ばかりに追われてきた男性が今後幸せに暮らすための生活術を問う家事小説である。
校長の花村は、生徒に「家事とは、やらなければ生活の質が下がり、健康状態や社会生活に問題が出たりするのに、賃金が発生しないすべてのこと」と説明する。その多くが生きるのに必須の事柄にもかかわらず、賃金が発生する仕事よりも軽視されることを指摘され、生徒は家事の重要性に改めて驚く。なにせ仕事を理由に家事を免除された男性が一人になった途端に直面するのは、生きるのに必須の身の回りのことすらできないセルフネグレクト状態なのだ。
「物語には、1人暮らしが始まるのを機に家事を学ぶように言われて渋々家事学校に入学してきた猿渡という大学生が登場しますが、彼は『なぜ俺が家事をやらなくてはいけないのか』という疑問を抱えています。金を払って誰かに頼めばいい、母親は黙ってなんでもやってくれたなどの声もありますが、家事全部を外注できるわけでもなく、今まで世話をしてくれた人がずっと支えてくれる保証もない。独身男性の寿命が、なぜ女性に比べて明らかに短いのか考えてほしいのです」
主人公は、認知症の妻の介護をしながらショートステイの日に学校に来ている人、妻とうまく向き合えないままひたすら家事スキルを磨いている人など、さまざまな事情を抱える生徒に出会う。その中で、彼は生活には家事スキルだけでなく、共に暮らす家族の声をよく聴くことが必須なことに気づいていく。
「家事は完璧にやればやるほど軽んじられて当たり前になりがちです。『家事がしんどいなら外食でいいよ』というのではなくて、外食できない事情があるかもしれないことを含めてしんどさを受け止めないといけない。家の中に1人家事専従者がいることを前提に日本社会は回っていますが、全然そうではなくて男性も女性も疲弊している。家事もできないほど身を粉にして働く生活を見直す時期が来ているのではないでしょうか」 (中央公論新社 1760円)
▽近藤史恵(こんどう・ふみえ) 1969年生まれ。93年「凍える島」で鮎川哲也賞を受賞し、作家デビュー。「サクリファイス」「タルト・タタンの夢」「インフルエンス」「歌舞伎座の怪紳士」「それでも旅に出るカフェ」「ホテル・カイザリン」など著書多数。