佐川光晴(作家)
1月×日 年末年始は、古山高麗雄著「フーコン戦記」(小学館 880円)を読んで過ごした。単行本の刊行は1999年。生誕100年に先立つこと2年の2018年に芥川賞受賞作「プレオー8の夜明け」を含む同名の戦争短編集が同レーベルから発売された。それを皮切りに「断作戦」「龍陵会戦」「フーコン戦記」と続く、雲南・ビルマ戦線を舞台とする戦争長編3部作もまた、B6判ペーパーバックという廉価なスタイルで再刊されたのは喜ばしい。
コロナ禍後の世界は、プーチンのロシア軍によるウクライナ侵攻、ネタニヤフのイスラエル軍によるガザ地区でのパレスチナ人虐殺と、まるで古山を読む環境を整えるかのように進んでいるのが悲しいが、それが傑出した作家の宿命なのだろう。
昨年私が10数年ぶりに古山の「蟻の自由」を読んだのも、南方を転戦する「僕」が、亡き妹に宛てて、「どっちにしても僕たちは、人殺しになるか、気違いになるしかありません」と手紙をつづる場面が記憶にあったからだ。古山がそうだったように、若いロシア兵の中にも、この戦争を正当化する理由など微塵もないと知りぬきながら、下級兵として攻め入ったウクライナ領で、泥沼の戦闘に震えながら耐えている者たちがいるはずだと思い、読み直したのである。
650頁に迫る畢生の大著「DJヒロヒト」(新潮社 4180円)で高橋源一郎は古山高麗雄に多くの頁を割いている。昨夏63歳の若さで急逝した福田和也も古山を高く評価していた。
一兵士として加わった龍陵周辺の山中での数カ月に及ぶ過酷な戦闘を思い返し、「私の前方で戦った人々のことを思わずに考えることはできない。」(「龍陵会戦」あとがき)と古山は書く。太平洋戦争を題材にした小説を書いた日本人の中で、おそらく最も前方で、おそらく最も長く戦ったがゆえに、古山は自分よりさらに前方でさらに長く戦った者たちが多数いたことが身に染みてわかるのだ。
私にとって最良の小説家のひとりである。