お別れの会に4万人が集まった 寅さん渥美清の死
47作目からは出演に主治医のドクターストップがかかる。だが、彼は反対を押して出演した。カチンコが鳴ると、相変わらずのコミカルな演技を見せはするが、控室に戻ると疲れた顔を見せてそのまま寝てしまうことが増えたという。
死の前年には48作目「寅次郎紅の花」にも出演した。主治医はこれを「奇跡に近い」と嘆息。結局この作品が遺作となってしまった。
渥美は死の直前の6月にも、松竹から次回作の打診を受け、まだまだ意欲を燃やしていたという。しかし、容体は悪化し、7月31日に肺がんの手術を受けるも手遅れの状態であった。
生前から「死に顔を皆に見せたくない。骨になってから皆に連絡してくれ」と家族に言い続けていたという。このため、渥美の死はすぐにニュースにならず、公表されたのは遺族が密葬を終えたあとの7日午後だった。
渥美は「寅さん」のイメージを大事にするために、細心の注意を払っていた。
79年公開の話題作「復讐するは我にあり」の主演オファーがあった時も、「殺人犯役では寅さんのイメージを壊すから」と断った。独身のふられ男のイメージを守るため、家族の存在も徹底的に隠した。山田監督も11年間担当した付き人も、遺族と会ったのは渥美の没後が初めてだったという。