「鬼渡」ファミリーから追い出された沢田雅美
<1994年1月>
「舞台を降りたい」と沢田雅美(当時44)から石井ふく子プロデューサーに電話があったのは、1月16日の深夜だった。
沢田がデビューしたのは14歳の時。石井がプロデュースする「ただいま11人」(TBS)というドラマだった。その中の脚本家のひとりが橋田寿賀子。その後、沢田は石井・橋田ファミリーの一員としてホームドラマに欠かせない存在となっていった。
秘蔵っ子の沢田を石井はかわいがった。芸能人だからと沢田の入学を拒む高校まで出向き、直談判したほどだ。
その沢田が突然、電話で3月の明治座、5~6月の芸術座、9月の名鉄ホールの舞台を降りたいという。すでにポスター撮りも済んでいる。考え直すように説得する石井に沢田は「女優をやめてもいい」とまで言いだした。石井が「会って話をしましょう」と言うと、いきなり電話口に男が出た。沢田の内縁の夫で俳優の赤松秀樹だった。2人は5年ほど前から同棲していた。
「よぉ、大プロデューサーさんよ」と最初からケンカ腰の赤松は「雅美はオレの女だから、あんたの仕事がなくなってもオレが食わせていく」と続けた。「バカヤロー」と悪態をつかれ、腹を立てた石井はその場で電話を切った。