山本一力 売れない時代の胃袋を満たしたアラ煮の思い出
直木賞作家の山本一力さん(66)は下町をこよなく愛し、江戸の人情物を数多く世に送り出している。時代小説の名人が取り出した一枚の写真には、大きなタラバガニを囲むように山本さん家族がほほ笑む姿が写っていた。
「97年にオール読物新人賞を頂いたとき、その号に『1万円で買えるものをなんでもご用意ください』という企画があったんだよ。その企画に新人の私も呼ばれてね。その1万円で買ったのが、この写真のタラバガニ。普通の魚屋では、1万円でも買えないと思うよ」
■カツオ1本とホヤつきで1万円
その魚屋は、いまも砂町銀座商店街にある「魚勝」で、奥さんは店の常連客だった。
「新人賞を頂いた頃は、ちょうど嘱託で働いていた会社の契約が切れて毎月食うのも大変な時代だった。なじみの警備会社のカタログや機内誌の原稿を書いたりして、アルバイトは何でもやった。魚勝は安くていいものを売る魚屋さん。カミさんはそういうところでやりくりして家計を支えてくれた。タイのアラは一舟100円とか150円だから、買うのはタイもヒラメもアラだけ。カミさんは店で『アラ女』って呼ばれていたんだ。その『アラ女』が<1万円で何かいいものを>なんて言ったもんだから、気張ってくれたんだろうね。すさまじくデカいのを出してくれた。しかもオマケしてもらって7000円。写真には写っていないけど、丸(一本)のカツオとホヤをつけてやっと1万円使い切ったんだよ」