バイオリニスト川井郁子の「空しい日々」を一変させた宮川泰
そして先生がレギュラーに推薦してくださったこともあり、約2年間、先生のピアノとともにエンディング曲を演奏させていただく機会にあずかりました。
当時は自分の居場所を見つけられず、むなしい日々を送っていました。英国でデビューさせていただき、日本でもCDを出していたものの、クラシックの名曲を誰かと同じように弾くことの限界というか……。弾き続けたところで、その先に何かあるとは思えないし、自分に向いているとも思えない。かといって、ポップスとか異なるジャンルに挑戦しても、誰かの音楽を弾かせてもらっているという立ち位置から抜け出せない。
それが先生とご一緒するようになり、タンゴをはじめ、それまで知らなかったジャンルの音楽に触れていくうちに、自然と変わっていったんです。音楽が体の中に入っていったというか、そもそも音楽に垣根はないってことに気づいたんですね。
■不可能と思えることに挑戦できるように
6歳のとき、瀬戸内海に臨む実家のラジオからブルッフのバイオリン協奏曲が流れてきて、その音色に魅了されて以来、多くの先生の指導を受けてきました。昭和という時代もあって、スパルタ的な指導も中にはありましたけど、私は宮川先生のように良いところを伸ばそうというタイプの先生じゃないとだめでした。