波乱の人生も今や大臣妻 高見恭子がつかんだ理想の居場所
恭子は14歳のころ、雑誌「MC SISTER」でモデルデビュー。すらりとした長い脚にキュートな顔立ちで人気となり、タレントとしても活躍。みずみずしい感性のエッセーも好評だった。
90年5月21日、年下の美容整形医と極秘入籍。同年9月挙式するが、同年11月離婚。「ひらめき婚」は半年で破綻した。離婚会見では「幸せな家庭をつくり上げる途中で壊されちゃった感じ。クシャミしていた間に全てがなくなっていたの」と泣きながら、高見の手料理を拒んで外食を好む元夫との価値観の不一致を述べた。
離婚後は、特に再婚を意識していなかったが、衆議院議員の松浪健四郎の紹介で、当時新日本プロレス所属の馳浩と1年間交際し、95年3月に再婚。馳を紹介された翌日に母親が死去し、母の葬儀を馳が仕切ってくれたという。
バツイチ同士に加え、高見と知り合う前に馳が元巨人軍の松井秀喜の母校の石川・星稜高校で国語の教師として教鞭をとっていたことや、愛読書の一つが高見順の「死の淵より」だったことも、2人の距離を縮めた。95年の再婚会見で高見は次のように新たな結婚観を語った。