「別れの朝」ペドロ梅村さん 脳梗塞を乗り越え今も活動中
「リリース直後から売れに売れたね。なんせ、レコードのプレスが間に合わなくて騒動になったくらいだから」
連日、テレビの音楽番組に出演し、その合間にコンサートやライブ。睡眠は移動時間にしか取れなかった。
「忙しいのは大歓迎だったけど、ちょいと問題もあった。初代ボーカルだった前野曜子は弱いくせに酒が大好きで、しかも寝坊で仕事に穴をあけることも多かったんだ。で、72年に脱退し、入れ替わりに博多のクラブ歌手だった高橋まり(現・高橋真梨子)を現地まで赴いて口説き、迎え入れたのよ」
その後も「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」とヒットを連発。特に73年3月に発売された「ジョニィへの伝言」は、42週にわたってオリコンチャート100位以内にランクインするなど、驚異のロングセラーを記録した。
また、97年からメキシコ、キューバなど中南米でコンサートツアーを行い、04年にはキューバの首都ハバナであった「日本・キューバ経済交流75周年記念公演」に招待された。
「キューバンジャズとラテン音楽の発展に貢献したとして、キューバじゃボクらは国賓待遇なんだぜ」
夫人と2人暮らし。