<第4回>見事な“臨時司会”が三波伸介の就任につながった
1970年当時は現在ほど交通機関が発達しておらず、売れっ子タレントの移動の大変さは現在の比ではなかった。2代目司会者のマエタケこと前田武彦は「夜のヒットスタジオ」の生放送を終えた翌朝、「笑点」の地方ロケに駆けつけることがしょっちゅうだった。
北海道で収録がある日、大雪で…
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