松坂慶子は衰え知らず 最高傑作「死の棘」までの紆余曲折
その後、深作監督と別れた松坂には、一発逆転が必要だったはずだ。小栗監督が当時、松竹の奥山融副社長に、主演を打診したいきさつからもうかがわれる。
<これといった当たり役がなくて、少し勢いがなかった時期でした。松竹としてもどう扱っていったらいいのかわからなくなっている、そんなふうに私には見えていました>(小栗康平コレクション3「死の棘」駒草出版)。
だが、この作品で見事に日本アカデミー賞最優秀主演女優賞はじめ映画賞を総なめにした。
「14歳の時からずっと仕事をしてきて、そして『死の棘』という、自分自身の内面を考えさせられる作品に出合った」と女性誌で激白した松坂。恋多き女優は、撮影が終わってから結婚。今や2人の娘の母親だ。
ところで、国際派女優の松坂が、今もなお映画やテレビでひっぱりだこの理由はなにか。
「吉永小百合さんと共演した『華の乱』(88年)の囲み取材中に、あるリポーターが『松永さん』と間違えたのです。でも松坂さんは眉ひとつ動かさずに、淡々と質問に答えた。さすが大女優だと感心しました」(前出の川内氏)
大女優でも偉ぶらない。このスタンスが不動の地位を招いた。