酒豪番付では“東小結” 志垣太郎が語る勝新太郎との思い出
今から40年以上前、週刊誌が「酒豪番付」を作成していた時代。横綱は酒豪としても鳴らした大スターの勝新太郎や石原裕次郎がバリバリだった頃に、東小結に番付されたのがまだ20代そこそこの志垣太郎さん(65)。その酒豪伝説を。
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当時はいったん飲み出したら1日3本。ビールじゃないよ。ジン、ウオツカ、日本酒……、お酒なら何でもボトルで3本は空けていたね。
今と違ってあの頃はみんな仕事が終わるとお酒を飲んでワイワイやっていましたね。とくに僕はスタッフと飲むのが好きで、現場の後片付けが終わるまで待っていたくらい。飲み始めはだいたい撮影所のスタッフルーム。みんな時間もお金もなかったのでなかなか飲みに行けない。だから、監督が冷蔵庫に用意してくれているビールや日本酒を飲んでいた。
僕の出番が早く終わった時には先にひとりで撮影所の近所の焼き鳥屋で飲んで待ちました。今みたいに携帯電話とかがないから、ちょくちょく様子をうかがいに戻って、助監督に何時くらいに終わりそうか聞くわけですよ。で、「あと30分くらい」と言われたら、焼き鳥屋に戻ってそこの親方に50本くらい、差し入れ用に焼いてもらう。そこから終電に間に合う時間まで約2、3時間、スタッフルームで飲んだ後、帰る人は電車。僕を含めた帰らない人は朝まで飲みに行くわけです。高級クラブなんかじゃなく、安い赤提灯みたいな飲み屋です。で、気がつくと3本くらい飲んでいました(笑い)。