先代円楽が「好楽にもういっぺんやらせたい」と根回しを
苦労ばかりでなく、いいこともあった。1988年4月、「笑点」の大喜利メンバーに復帰したのである。
「これまた異例中の異例でしたねえ」
「笑点」の大喜利メンバーが病気で休養したり、自ら降板した後に復帰した例はあるが、降ろされた者が復帰したのは好楽だけである。
「当時は先代円楽が司会者でしたから。『好楽は不完全燃焼のまま辞めさせられてしまった。もういっぺんやらせたい』と、プロデューサーやスポンサーにまで根回しして説得してくれたみたいです。復帰が決まって初回の収録の日、スタッフからピンク色の着物を渡され、『お帰りなさい』と言われた時はさすがに感極まりましたね」
復帰後、大喜利コーナーの自己紹介は、扇子をちょっと開いて口元に持っていき、「落語界の玉三郎」と見えを切っていた。
「当時、『ピンクの小粒のコーラック』というテレビCMがあったので、『ピンクの着物の好楽』と言いたかったんですが、笑点のスポンサーに製薬会社がいたので使えませんでした」