「しくじりの原因はたいてい酒」九蔵時代は23回も破門に
先代林家正蔵は「とんがり」というあだ名があった。すぐにとんがる、つまり怒りだすことから付いた。好楽は九蔵時代に何度も怒りを買い、23回も破門を言い渡されている。
「まあ、師匠の『破門だ!』は口癖みたいなもんですから。謝れば翌日には忘れてる。しくじりの原因はたいてい酒でした。好きなんですよ。今も毎晩飲んでます。若い頃はよく寝過ごしたりしましてね」
それでも入門5年で二つ目に昇進。威勢のいい高座で注目を浴び、1979年には「笑点」の大喜利メンバーに抜擢された。
「大抜擢ですよ。当時の司会者は三波伸介さんで、先代円楽はまだ回答者のひとり。歌丸・小円遊が悪口を言い合うバトルが受けて、視聴率が上がりだした時期でした。そんな中に若手が入ったって、のびのびできるわけありません。萎縮してたし、明らかに実力不足でしたね」
1981年9月、真打ちに昇進。披露口上にはこの年、彦六と改名した師匠と落語協会会長の柳家小さん、兄弟子の春風亭柳朝と共に立川談志が並んだ。