幼稚園で画期的ライブ お客さんの園児がノリノリで踊った
電線は、「多摩蘭坂」(作詞・作曲=忌野清志郎)の歌の舞台となった「たまらん坂」へと続いていく。ここはファンの中でも最も有名な場所。いつもファンからの花が供えられ、隣人の方々もファンに快く対応している。
「清志郎さんが通った『みふじ幼稚園』が、実家のすぐ近くにあって、横道の坂から真っ正面に富士山が見えました」
清志郎はこの幼稚園でベースの小林和生(リンコ)と出会い、それからの長い音楽人生を共に歩んでいくことになる。
「家は道に面していて、中学生の頃、自宅でバンド練習をしていると近所の友達が気軽にのぞきに来たそうです。当時、ふたりとも伝書バトを飼育していて、清志郎さんには血統書付きのハトも数羽いたけれど、リンコさんはドバトばかりだったと聞きました。一人っ子と兄弟がいる子の違いだって(笑い)」
1991年に清志郎は、みふじ幼稚園でスペシャルライブを行っている。
「卒園した幼稚園で、お客さんは園児という画期的なライブです。数年後には、自宅近くの幼稚園でも長男タッペイくんの卒園ライブをやったのですね。その模様を収録した秘蔵映像を見ましたが、体中に風船をつけ、大道芸人のようなイメージで登場。最初に披露した曲が、アメリカ公民権運動の代表曲『天使のハンマー』。しかも、英語で。好き勝手にはしゃぎまわっていた園児たちも、何曲目かの『デイ・ドリーム・ビリーバー』で踊りだし、『パパの歌』ではノリノリです。さすがはキング・オブ・ライブ、面目躍如でした(笑い)。長女・百世ちゃんの小学校卒業ライブも映像で見ました。客席のモモちゃんが隣の友達に恥ずかしそうに苦笑いしてるのがとても印象的で可愛かった。“出たがり”の清志郎さんは、周囲になんて言われようがやるんですね。またそれがいいのです」(つづく)