戦後最年少で真打ち昇進 志ん朝以来スピード出世だったが
病気については、改めて詳しく話してもらおう。
「自分は勉強ができないバカで落ちこぼれだと思い込んでました。だから、落語を褒められても、おべんちゃらとしか思えない。人の言うことが信じられない。落語家としても、小さんの孫だからちやほやされるんだと。早い話が、劣等感の塊ですよね」
昇進後の花緑は、古典落語を大胆にアレンジし始めた。登場人物のキャラクターを現代人と重なるように変えたり、「入れ事」と言われる現代的なくすぐりを随所に挟んだ。
「とにかく客に受けたかった。志らく兄さんみたいに古典をぶっ壊してみたり、新作落語は自分で作れないから、三遊亭新潟(現白鳥)の『河童の恩返し』というネタをやったりしてました。それを小さんが舞台袖で聞いていて、『つまんねえ噺はやるな』と怒られました。照れながら河童を演じていたのがわかったようです。小さんは狸が出てくる噺を、『狸の了見でやる』と言いましたが、僕は河童の了見になれなかったのでしょう」
試行錯誤の時期が数年間続いた。 (つづく)