寝坊して、師匠が高座で着る紋付きを届けるのが間に合わず
小痴楽は前座として、自他共に認める落第生だったという。
「遅刻の常習者でした。寝坊して、師匠が高座で着る紋付きを届けるのが間に合わず、普段着の着流しで上がらせたこともあります。その他にも、いろんなしくじりがあって、3年近くたった頃、ついに師匠からクビを言い渡されました。破門じゃなくて、『父親から預かったんだから、痴楽師匠のところに戻す』という形にしてくれたのは、平治師匠の心遣いです」
平治にとっては初めての弟子だった。しかも、先輩の息子。どう育てていいか戸惑ったこともあるだろう。2008年6月、痴楽門下に移る形で、芸名を柳亭ち太郎と改める。
「親父は、『平治の好意に甘えさせてもらおう』と言いました。その頃はもうしゃべれなくて、文字盤を指してコミュニケーションを取る状態でしたが。それから1年3カ月後に亡くなりました」
享年57。早すぎる死であった。ち太郎は、痴楽の弟弟子の柳亭楽輔の弟子になった。その年の11月、二つ目昇進を機に、父親の前名である柳亭小痴楽を名乗る。