寝坊して、師匠が高座で着る紋付きを届けるのが間に合わず
「二つ目になると、紋付きが着られるのですが、僕は着なかった。それは前座時代に平治師匠の紋付きを届けるのが間に合わず、着流しで高座に上げてしまったからです。紋付きを着る資格がないと思ってました。親父と同じ柳亭の紋を背負うのをプレッシャーに感じたこともあったかなあ」
二つ目になったとたんに、仕事が減って暇になるといわれるが。
「そういうことはなかったです。歌丸師匠、小遊三師匠、円楽師匠がよく仕事を下さって、高座数と収入には恵まれてました。ただ、仲間の宮治(桂)さんや鯉八(瀧川)さんなんかは、当人に名指しで仕事の依頼が来てました。ギャラは少ないけど、求められて出てる。僕の場合は、誰も僕を求めてなくて、師匠連のお供で出てるだけ。仕事の質が違うわけです。彼らが羨ましかった」
そのうち、小痴楽を名指しする仕事が入るようになった。
「独演会の依頼があった時はうれしかったですね。歌丸師匠に報告すると、『あたしのカバン持ちで付いてく仕事はしないでいいから、どんどん落語会に出るようにしなさい』と言って下さいました」 (つづく)