「スター・ウォーズ」に劣らぬ“理力”を弄ぶ支配者ばかり
映画は実写なり――と我らがいくら思ってようと、この国の映画の風潮はすっかり変わり果ててしまった。悲しくてやりきれない。
前年の映画興収はアニメのおかげで増大したと興行界だけは喜んでいる。「天気の子」は140億円。延べ1000万人以上が見た勘定だ。「アナ雪2」「アラジン」と上位はアニメだらけ。続く実写映画もガキ向けが多く、大人が見られるシロモノではなさそうだった。中国人のファンまで「天気」の場面の聖地巡りに来ているとか。なんちゅーこっちゃだ。天空の気まぐれを読めない天気予報士も面目丸つぶれだ。
「気」を送って、相手の意思を思いどおり操作したり、物を引力に逆らって動かせたり、他者に何かを強いる力を、映画「スター・ウォーズ」では「フォース」と呼んで、ファンたちを熱狂させてきた。1977年、当時25歳だった小生もその旋風にあおられて見たものだ。帝国軍兵士らの光線銃の撃ち合い場面には、ついにアメリカ映画も終焉したかと感じた。ぎょろ目の主人公、ルーク・スカイウォーカーという青年が放つ、何でも自分の思いどおりに動かす気の力、念力を「フォース」と呼んで、字幕じゃわざわざ「理力」と辞書にもない語句を当て、初代ぎょろ目が引田天功も真っ青な立派な念力使いとなり、銀河系の自由と正義を守るんだと「ジェダイの騎士」の修行を積む場面にも呆れ返った。ちょうど、怪しさ満点のユリ・ゲラーのスプーン曲げ奇術や壊れた時計直しの超能力ブームが世界中で起きていた頃で、念力映画ブームに大勢がとりつかれ、これから泳いでいく映画界の前途に思わず、ため息が出たものだ。