解せない映画「パラサイト」と文明の残滓を求めて旅に出た
60年代から70年代初めには次々に廃鉱となり、高度経済成長という「夢と理想」の時代が止まってしまうと、日本の風土や文化がすっかり壊れだしたのは確かだ。
東京や大阪の都市でも同じで「欲望」の資本主義が石炭から石油を軸にした経済に切り替わると、田舎の原風景はどこも見事に死滅し始め、風化した。
炭鉱はとっくに閉鎖され、記念館だけが残っていた。十数万人いた町は今や5万人足らず。田川では、行政で「生活保護」の支払日になると、いまだに花火まで打ち上げて知らせるとか。
「でも、石炭の栄華が去った後も、この町のホルモン料理は健在です」と町の人が豪語した。言われるまま食べると絶妙な味だった。昔の炭鉱や鉱山労働者たちは七輪の上に鍋代わりにセメント袋を置き、ホルモンと野菜だけで鍋を煮たという。それを真似て、博多では出汁を足してお上品なモツ鍋になったのだとも。
明日死ぬかもしれない炭鉱労働者、宵越しのカネなど持たないで、最後の晩餐会のように毎晩、うまくて体力のつくものを食った。炭坑節の元歌という「選炭者の唄」もあった。石炭を選り分ける女たちの労働歌、まさにブルースソウルだ。