“今夜がヤマだ”デビッド・ホセインさん 4カ国語話す社長に
イランではアマレスの強豪だった
さて、1962年8月31日、イランの首都・テヘランに生まれたホセインさんは、6人きょうだいの長男。父は市内でスーパーマーケットを経営する裕福な家庭だった。
「一番下が双子の妹。男ばかり4人兄弟だったので、元気に生まれて母はすごく喜んでました」
数字に強いホセインさんは家業を手伝い、経理や仕入れを担当。オフタイムには幼い頃から親しんできたアマチュアレスリングのトレーニングに励んでいた。
「イランと日本はシルクロードで奈良時代からつながり、交流の歴史は長いんです。私が24歳くらいの時にNHKの連続テレビ小説『おしん』が大人気に。放送が始まると、商店街はぜーんぶシャッターを下ろして休憩時間にしてしまうほど皆が見てました」
初めての来日は89年。次いで90年に来日し、イランでアマレスの強豪だった縁で、早大のレスリング部コーチだった太田章氏(ロサンゼルスとソウル五輪で銀メダル。現・早稲田大学スポーツ科学部教授)のサポートをするようになった。
芸能界入りのきっかけは、「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」(テレビ朝日系)。その後、オーディションに合格してユニマットのTVCMに出演し、少しずつ注目を浴びていった。
全国に名前を知られたのは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)の板尾創路の板尾シリーズだ。危篤状態の嫁を案じる板尾に、医師に扮したホセインさんが真剣な表情で、「今夜がヤマだ」と繰り返すギャグが大ウケ。準レギュラーとなって、「元祖!でぶや」(テレビ東京系)などバラエティー番組を中心に大活躍した。
共演したことはなかったが、先日亡くなった志村けんの大ファン。
「12年ほど前、志村さんの誕生日会に呼んでいただいたのは、本当にうれしかった。志村さんのコントは、言葉がわからなくても腹の底から笑えるんです。来日直後、日本語がまだ話せなかった時でも、志村さんの『バカ殿』シリーズを見て癒やされたものです」
既婚。もちろん奥さまは日本人だ。
(取材・文=高鍬真之)