今こそ邦画史上最もエキサイティングな増村保造監督作品を
新型コロナウイルスに関する報道や情報に、いささかうんざりしている人も多いことと思う。もちろん、重要なニュースもあるが、どうでもいいようなコメントを拾ったネットメディアが横行すると、もういけない。疲れが、どっと出てしまう。
ここは、気持ちをリセットしようではないか。映画ジャーナリストの筆者としたら、当然その際の活力源は映画となる。すでに自宅で見られる選りすぐりの多くの作品の推奨が、ネットなどで紹介されているのをよく見る。名作もいいが、ここはもっと肩の力を抜いた、問答無用にスカッと元気が出る作品のほうを薦めたい。
■日本の映画史上、最もエキサイティング
挙げたいのは、1950年代末から1970年代はじめの大映で活躍した増村保造監督の作品だ。黒澤明や小津安二郎らの巨匠と比べれば、知名度は低いが、日本の映画史上、最もエキサイティングな作風の持ち主にして、多くの俳優たちを光り輝かせた監督として知られる。
最近、テレビドラマの「M 愛すべき人がいて」(テレビ朝日系)が話題になり、大映ドラマテイストが人気の一因という記事も見かけた。それは、登場人物のキャラクターが個々に際立ち、尋常ではない話の展開をもつ大映テレビの特徴からきている。増村監督は「赤い衝撃」など大映ドラマの代名詞ともいえる初期作品を手掛けた。監督は大映テレビの原型を作り上げた立役者と言っていい。その流れの源流が、彼の映画歴というわけだ。
何本もの傑作、秀作をもつ監督だが、登場人物の多くが周囲への忖度などまるでなく、強烈な自己主張をすることで共通している。そのような性格づけは「近代的な自我」あるいは「個人主義」とも見られていたようだが、生命力あふれる人物造型と破天荒な話の展開が、とにかく圧倒的に面白い。おそらく公開時はもちろんのこと、今見ても元気のもとになり、体中に得体の知れない力が染み渡ってくるのではないか。
日本が高度経済成長期であったことも背景にはあるだろう。今回は、東京五輪の年でもあり、監督の脂が最もノッていた1964年の公開作品4本のうち、2本を取り上げることにしよう。
▽「現代インチキ物語 騙し屋」
映画史上、全く忘れ去られた傑作コメディーと断言する。ジャパニーズ・コメディーの金字塔とさえ言っていい。東京五輪間近の大阪を舞台に、騙し屋集団が舌先三寸でカネを巻き上げていく。
曽我廼家明蝶、伊藤雄之助、船越英二、園佳也子らの芸達者が、まあ何とも見事に騙しのテクニックを見せてくれる。セリフ回しがオーバー過ぎて、相手は騙される前に、彼らの独特な世界に幻惑されてしまうといった感じだ。一つの騙しが終われば、次の騙しに間髪入れず入っていく。横道に全くそれないので、実に心地いい。騙される側は当然ながら、見る者もまた、彼らの舌先のあまりの勢いに騙されてしまう。
10以上の騙し話が展開され、ラストのどんでん返しを除き、すべてが成功する。しかも、騙す相手は金持ちや社会的な地位が高い者ばかりだ。高齢者や弱者をたぶらかすのとはわけが違う。騙しの極意に一本筋が通っている。
ラスト、明蝶(全編を通じて、映画史上に残る名演技を披露)が言うセリフが決まっている。「この大阪、この日本。この手のひら、舌の上で踊らせてやるぞ」。あまりに爽快な物言いに、涙さえ出てくる始末だ。大阪人の凄さを描いて、ここまでの作品はめったにない。
▽「黒の超特急」
関西新幹線の汚職をめぐるサスペンスである。原作は梶山季之。岡山のしがない不動産屋(田宮二郎)が、知らずに汚職の片棒をかつがされたことに憤り、悪(ワル)の黒幕に近づいてカネをふんだくろうとする。
最初こそ、世間知らずで、ちまちました動きしか見せなかった田宮が、怒りを体中に染み込ませ、次第に悪党どもを追い詰めていく切迫感ある描写の過程が実に惚れ惚れする。全く気持ちがいい。その底流に、彼が言う次のセリフの意味が詰め込まれている。高層階から外を眺めて言うシーンだ。
「見ろ、東京を。ビルが次々に建てられ、高速道路があり、レジャー産業が全盛だ。しかし、これを支配しているのは誰だ。それは大企業だ。昔なら、大名だ。俺たちは百姓、町民だ。一生うだつの上がらない虫けらだ。俺は、そんなみじめな生き方は嫌だ」
ここでも、高度経済成長期の日本が、あからさまになっている。ただ、カネという目的に最も近づいたとき、田宮は別のわが道を行くのである。さきのセリフに偽りはないが、権力の許しがたい横暴は絶対に許すことはない。「現代インチキ物語 騙し屋」同様に、薄っぺらなカネ志向、上昇志向だけがあるのではない。どちらも、いびつな社会構造に異を唱え、徹底して権力的な組織、人間に逆らうことで同じ土俵に乗っているのだ。元気の源は、立場は違えども、反権力のその揺るぎない生き方、信念にある。
増村監督は、バリエーション、程度こそまちまちだが、人間のバイタリティー、活力を描いて、日本映画史上に燦然と輝く映画群を送り出してきた。今回挙げた2本に限らず、どの作品でもいい。デビュー作である川口浩、野添ひとみの「くちづけ」(1957年)でも、勝新太郎の「兵隊やくざ」(1965年)でも、若尾文子の「赤い天使」(1966年)でも、とにかくどの作品でもいいから、今、改めて見ることで、疲れた自身の体に獰猛で荒れ狂うエネルギーを注入してみたらどうだろうか。
増村保造、今こそ見るべしと強く思うのである。