久米宏は日本のテレビやラジオにまだ必要だ
毀誉褒貶かまびすしく、好悪はっきり分かれる久米が、50年もテレビやラジオの真ん中でやっていられるのは、放送で向かい合うべき相手をはっきり見定めているからだ。こうも語った。「僕の番組はスポンサーはつかないですよ。あんなこと(東京オリンピック反対など=筆者注)言ってたら、つかないもん。でも、民放育ちだから、スポンサーのありがたさは十二分にわかってますよ」と自虐しながら、本当のスポンサーは実は視聴者だと指摘した。
「民放って、(視聴者は)みんなタダだと思っているけど、タダじゃないんです。スポンサーがついているということは、リスナーはいろいろなものを買っているわけです。そのお金が広告費として民間放送に入ってくるわけですから、リスナーは番組にお金を払っているんです。お金を払ってもらっているんだったら、それにふさわしい価値のある放送をしようという気持ちは、ずっとあります」
当たり前のように聞こえるが、「番組はスポンサーより視聴者のため」と腹をくくっている制作スタッフや出演者は、どれだけいるだろうか。久米の番組はスポンサーはつきにくいが、聴取率・視聴率は手堅い。自分はチンピラ、にぎやかしとおちゃらけながら、放送屋・久米宏の矜持、あっぱれ! 日本のテレビ・ラジオに、この男はまだ必要だ。
(コラムニスト・海原かみな)