不思議とウマが合った「アクターズプロ」の阿知波信介氏
1962年、東宝から独立した三船敏郎が創業した「三船プロ」は俳優のマネジメントだけでなく、映画製作も手掛けた。調布にオープンセットまである撮影所も所有。石原裕次郎とタッグを組んだ「黒部の太陽」をヒットさせるなど、一時代の映画界に革命を起こした。
しかし、好事魔多し。事業の拡大に伴うように内部分裂が起きる。東宝演出部から三船を慕い移籍してきた田中寿一氏が俳優を連れて独立。「田中プロモーション」を設立した。田中は女優の烏丸せつことの再婚など芸能史を賑わせた人物でもあった。
新たなスタートを切った田中プロも出だしは好調だったが、因果は巡るように今度は田中プロで内紛が勃発。副社長の阿知波信介氏と俳優・竜雷太らがたもとを分かち、竜を社長に「アクターズプロ」を設立。萬田久子、秋野暢子ら女優陣も移籍した。影響をまともに受けた田中プロは後に倒産した。
私が本格的に取材するようになったのは阿知波氏の私的な取材からだった。俳優からマネジャーに転身した阿知波氏は持ち前のバイタリティーで頭角を現した伝説のマネジャー。ドラマ界では、「俳優出身だから俳優の気持ちを理解していた。優しい顔で女優のためなら土下座もする人でした。所属女優の生理も把握して体調管理までしていた」といわれていた。