岸田里佳さん 特撮ヒロインは3カ国語話す日舞の師範名取に
足かけ15年の海外生活
さて、岸田さんは大阪・岸和田市出身。「物心ついたころから、歌ったり踊ったりが大好き」で、11歳の時に上方演芸界の重鎮、故・ミヤコ蝶々さん主宰の「蝶々新芸スクール」児童部に入会し、大阪・南座の舞台でデビュー。その翌年には紺野美沙子主演のNHK・連続テレビ小説「虹を織る」(80年)に出演するほど注目を浴びた。
「蝶々先生は、とてもしつけの厳しい方でした。でもそれが後々の仕事で、とても役立ちましたね」
その後、朝日放送のバラエティー番組「YOUごはんまだ?」(85年)のレギュラー出演などを経て上京。
そして91年2月から放映された「ジェットマン」のヒロイン・鹿鳴館香/ホワイトスワン役に抜擢された。
「鹿鳴館香は“大金持ちのお嬢さま”という設定だったので、言葉遣いやしぐさに慣れるまでが緊張の連続でした。おまけにロケはケガが多かった。6月の秩父ロケ、滝つぼシーンの水の冷たさは今も忘れませんね」
「ジェットマン」は、戦隊シリーズの中でもエポックメーキングの作品とされる。
「当時、シリーズは視聴率が低迷し、打ち切りの話も。そこで、そのころ人気だったトレンディードラマの要素を加え、“大人も楽しめる戦隊モノ”をコンセプトにしたところ、それが大当たり。シリーズが存続したんです」(東映関係者)
ファンの印象が強いのはそんな理由があるのだ。
94年、実業家と結婚。95年に長男、99年に長女、01年に次男に恵まれた。
「03年に主人の仕事の関係で、家族揃って中国・上海へ。さらに11年に米国・ニュージャージー州へ引っ越しました。転居先では、語学スクールへ通って言葉を学びましたから、日常会話なら中国語、英語は問題ありません。帰国子女の子供たちはそれぞれの滞在先の公立学校で学び、3カ国語ペラペラです。自宅? さすがに日本語が共通言語ですよ。フフフフ」
17年に帰国後は、都内に住む。
「足かけ15年も海外にいたため、日本の良し悪しもわかりました。中でも伝統的な文化や芸能は大事にしていきたいと思いますね」
(取材・文=高鍬真之)