原点は米国で見たエンタメの世界…そこに天性の勘が融合
1950年代、ジャニー喜多川氏の父親はロスの寺院内にステージを設置。日本から来た俳優らの公演を行っていた。これを見ていた20代のジャニー喜多川氏がエンターテインメントの世界に関心を持つきっかけになった。
資料を調べると、最初に来たのが女優・田中絹代さん。続いて山本富士子さんや作曲家の古賀政男氏も来ている。美空ひばりさんが12歳で渡米してきた時の印象がもっとも強く残っていたという。ジャニー氏はさらにブロードウェーミュージカルも自身の目で学び夢中になっていった。米国で見聞したエンタメの世界が今のジャニーズをつくる基礎になった。
「彼は歌も踊りもできない。直接の指導はプロに頼むが、レッスンを見ているだけで、どういう角度がかっこよく見えるか個々でわかる独特の勘があった。それを即座に指示を出す。米国で学んだことと天性の勘が融合したことでジャニーズが生まれた」(音楽関係者)
1952年、ジャニー氏は米兵として帰国。英語力を生かし、アメリカ大使館に勤務。空き時間に少年を集め草野球をしていた。元・芸能関係者からこんな話を聞いた。