宇多田ヒカルのノンバイナリー公表は必要か? ジェンダー問題の息苦しさ
言葉だけを配慮するとか、どちらか一方だけに何かを強いることではなく、縛りを緩め、偏見を少なくしていくためには、「寛容さ」が双方に必要であり、寛容さを求めることと、理解すべきだと強要することは全く違うものである。
■マジョリティーに対する新たな差別を生む可能性も
主張次第では、逆にLGBTQやXジェンダーに属する人たちが、"どうせ理解してくれない""どうせ差別する"と、マジョリティーに対する「偏見」や「差別意識」を助長させてしまう可能性もある。大切なのはマジョリティーvsマイノリティーの対立構造をいかになくしていくかということだろう。
マイノリティーに配慮するがあまり特別扱いし、さらに偏見を増やしてしまっては元も子もない。
ジェンダー問題に関して10代~20代は割と柔軟な価値観を持っていると感じるが、その上の世代は、理解したいがどこから理解を始めるべきかわからないという人も存在している。
意識改革のきっかけは大切だと感じるが、上げる声の数が増えれば増えるほど、本当に差別を受け苦しんでいる人の主張がただの承認欲求を満たすだけの主張にかき消されてしまう可能性もある。
"寛容さ"はマイノリティー側とマジョリティー側、双方に必要な認識といえるかもしれない。
(文=水野詩子/ライター・コラムニスト)