未知やすえ 新喜劇の“キレ芸”マドンナは不良少女役がきっかけ
きっかけは阪神巨人さんの打ち合わせで、うめだ花月の楽屋に伺っていた1983~84年ごろでした。阪神巨人さんと台本の打ち合わせをしていた時に舞台を終えて楽屋に戻ってきた「やすえ・やすよ」と遭遇。「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)で見ていた「やすえ・やすよや……かわいい」と思った直後、相方のやすよさんからきついダメ出しをされ、「また怒られたんや」と意気消沈して大きなため息をついているやすえちゃん。阪神さんに「(本多さんに台本)書いてもろたらええのに」「先生、お願いします」という流れがあって、初対面から「先生」と呼ばれるようになったことから「やすえちゃん」と呼ばしてもらっていました。
89年10月から90年3月までに延べ18万人を動員できないと存続できないという「吉本新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」が始まり、私も90年の2月に初めて新喜劇を書き、以降通常興行用60本、全国ツアー用1本を書かせてもらいました。そのほとんどに未知やすえさんに出演してもらい“キレ芸”のセリフをいくつも考えました。この頃から「やすえちゃん」から「えーちゃん」に呼び方が変わり親しくなっていき、本職の漫才とは違う新喜劇の壁にぶつかるたびに相談させてもらいました。