国民的人気バンド・スピッツの夢とは…「新宿ロフトのステージに立つのが夢だった」
これがロフトの始まりとなった。どんなに店を増やしても「雑多な音楽と雑多な表現者が過激に活動する拠点にしたい」「音楽のジャンルに貴賤なし」という気持ちは変わらなかった。
放浪の旅に出たのは当時、第三世界で独立運動の機運が高まり、もともと大好きな「革命」の気配が横溢していたから。
新宿ロフトのあった西新宿が再開発されることになり、立ち退き問題が裁判にまで発展した。
91年に帰国して「下北沢シェルター」をオープンした。先行きが不透明な新宿ロフトの「避難場所」という意味合いを込めて命名した。結局、新宿ロフトのオーナー会社がバブル崩壊でトンでしまい、新拠点を探すことになった。世界で一番スリリングな街・歌舞伎町に移転。99年4月にリニューアルオープンした。
世界をウロついていた時期に尾崎豊、ブルーハーツ、スピッツ、X JAPANといったバンドがブレークしたが、存在自体も知らなかった。カウンター・カルチャーとしてのロックは廃れてしまい、ライブハウスは健全な少年少女たちの「仲良しこよしの歌声喫茶みたい」になっていた。
そうそうスピッツ!
「新宿ロフトのステージに立つのが夢だった」「日本で一番ロックを感じられる場所だった」と話していた彼らが、国民的人気バンドに育ったことをうれしく思う。