「54歳で子供ができたと聞いた時、信じられなかったです。思わず泣きました」
「親父は幕下までいった力士で、大けがをして廃業。故郷の岐阜に戻って寿司職人の修業をして店を開きました。自分が断念した関取(十両以上)になる夢を息子に託した、ということなんでしょう。僕自身は柔道の方で高校進学するつもりでしたから、あんまり乗り気じゃなかった。親孝行で入門したようなもんです」
元横綱・三重ノ海の武蔵川親方と、元横綱・輪島の花籠親方がスカウトに来たというから、体格と才能を見込まれたのだろう。
「親父は春日野部屋で出羽海一門でしたから、同じ一門の武蔵川部屋に決めました。四股名は本名の若森から森武蔵です。若武蔵の方がいいと思うでしょうが、すでに兄弟子に若武蔵がいまして」
1983年、中学卒業後に入門したが、当時の相撲部屋の稽古は厳しいものだった。
「ある程度のスパルタ教育は覚悟してましたが、想像以上でした。稽古場には木刀と竹刀が置いてありましたから。コンプライアンスも何もない時代です」
いわゆる「かわいがり」という名のしごきである。