「歌う看護師」入山アキ子さん 防衛技官、看護師長の肩書も捨て、転身を決意した理由
父が大好きだった村上幸子の「不如帰」の縁
そんなある日、2003年に父が脳出血で倒れて右半身不随になり、埼玉から山口に通って介護しました。父は当時58歳。「もう何もできない」とうつ状態になっていたのですが、父が大ファンの故・村上幸子さんのCDを聴かせ励ましたんです。
偶然って、やっぱりあるんですね、翌年、芸能プロダクションの方が舞台で私の歌を聴き、ある曲を自費出版でカバーしないかと言われたのですが、それが村上幸子さんのヒット曲「不如帰」。村上さんは「不如帰」がヒットしたけど、昭和天皇が重体になられた時と重なって歌詞の内容が不適切だと放送自粛になり、翌年、31歳で病死された悲運の方。
その方の歌を父が好きで、私が歌う……。「これは運命だ!」と思いました。
鈴木先生とはプロにならない約束でしたが、その時は「挑戦させてください」とお願いして、退路を断って看護師をやめる決心をしたんです。
オリジナル曲さえないのに公務員の地位、専門職を捨てるわけで「もったいない!」と何度も言われました。でも、やろうと思ったらすぐに行動に移したい性格です。看護師として培った寄り添う心と健康に関する知識や歌の力をもっと世の中に提供したいという夢を抑えられなかった。
同級生が勤務する各地の病院や施設、地方のお祭り、自治体の健康講座などを回って1年余りで3000枚を必死で売り切った。鈴木先生が「溺れ酒」という曲を書いてくださり、それも1万枚売り切りました。そうしたら、今度は「ザンザ岬」(作詞は星野哲郎)を提供してくださり、テイチクからリリースすることができました。
看護師時代の蓄えはすぐに底をつきました。でも、家が貧しかったので、あるもので工夫して暮らす貧乏暮らしには慣れていたからなんとかなりました。みなさんは私が不幸のどん底にいると思われるようですが、年々、幸せだと思うことが多くなっているんですよ。
芸能界はまったく知らない世界でした。昨年15周年を迎えるまでにはずいぶん遠回りもしたなと思います。でも、諦めないでやってきてよかったと思っています。
(聞き手=中野裕子)
▽入山アキ子(いりやま・あきこ)山口県美祢市生まれ。防衛医科大学校高等看護学院(現看護学科)卒業後、防衛医大病院の看護師を11年、豊岡第一病院内科外来師長を2年務めた後、演歌歌手に転身。08年「ザンザ岬」(テイチクエンタテインメント)をリリース。22年、15周年記念「一泊二日/わたしのふる里」発売。3月5日、15周年記念カラオケ全国大会開催(東京・品川)。