市川猿之助を苦しめた澤瀉屋の呪縛 家族会議までに至った「梨園の異端児」の歴史的背景
成田屋や音羽屋一門に比べると歴史が浅い
そもそも澤瀉屋は、9代目市川団十郎から破門され、20年もの間自身で芸を磨いて破門が解かれたときに「初代猿之助」を名乗ったのが始まり。ゆえに澤瀉屋は梨園の中では成田屋や音羽屋一門に比べると歴史が浅く、伝統を重んじる世界だけに、絶対に埋まらない歴史を常に実力でカバーしなければいけなかったといわれている。
猿之助は小中高一貫教育の暁星学園から慶応義塾大を卒業。「暁星は勉強に関して厳しい。生徒のレベルが高く、成績が悪いと退学せざるを得ない。芸能の仕事をしていても大目に見てくれることはない」(同校のOB)という。いとこの香川照之(57)も東大卒というハイスペックぶり。常に期待値を超える実績を残すことが求められるのが澤瀉屋の宿命でもある。芸能リポーターの川内天子氏がこう言う。
「澤瀉屋が注目を浴びたのは現在の猿翁さん(先代の猿之助)が始めたスーパー歌舞伎。松竹を飛び出して革新的なことに挑戦し、伝統ある演目を演じている方々に連日完売という集客実績を見せつけて、その地位を揺るぎないものにしました。
また、澤瀉屋の方は脚本が書けるというのも特徴で、脚本、演出、主演と全てをこなせるのは並大抵の才能と努力では務まりません。しかしながら、猿翁さんの時代は澤瀉屋の興行にほかの一門の役者が出演することは少なく、ほぼ身内で固めた“劇団澤瀉屋”のような状況でした。
今の猿之助さんに代替わりしてからは『ワンピース歌舞伎』など新作にもチャレンジし、広く若手にも門戸を開き、育成にも努めた結果が明治座で代役を務める中村隼人や市川団子の活躍にもつながっています。そんな澤瀉屋一門ですから猿之助さんも常に伝統芸能の中で反骨精神を持っていたはずです」
そんな反骨精神が澤瀉屋のエネルギーかつ醍醐味でもある。しかし「裏を返せば、何か失敗したら何を言われるかわからない。梨園の方々にどう見られるかを常に気にしてきただけに、思いつめてしまったのではといわれています」(前出の舞台関係者)。
澤瀉屋の看板を一人で背負い、テレビの世界でも活躍するなどはた目には常に優等生だった猿之助。事件の真相究明が待たれる。
◇ ◇ ◇
■厚生労働省のホームページで紹介している主な悩み相談窓口
▽いのちの電話
0570-783-556(午前10時~午後10時)
0120-783-556(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▽こころの健康相談統一ダイヤル
0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▽よりそいホットライン
0120-279-338(24時間対応)
0120-279-226(岩手、宮城、福島各県から、24時間対応)